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母さんの再婚相手の家で起こった最悪な出来事と、あたらしいわたしの再出発。(1/3ページ目)

投稿:2020-07-18 17:15:10

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まことまどか◆KDdVOEg
最初の話

これは私ことマドカ少年が中学2年の時の体験です。女系家族で育った私は、オンナだらけの中で育った環境からか、女性に対しての憧れや異性としての意識などは無縁でした。しかし、小学6年の時に高校生だった従姉妹に童貞を捧げて以来その従姉妹を意識しやがて初恋をすることとなります。しかし、…

前回の話

マコトが北海道へ行ってしまってから1ヶ月。私は無事大学3年生になっていました。大学3年生という時期は、誰しも将来のことを真剣に考えなくてはならない時期かと思います。しかしながら私は、未だ将来に何のビジョンも描けないまま悶々としていました。あのマコトでさえ、何かのビジョンを持って北海道へ渡ったというの…

わたしは今、北海道の苫小牧港に向かうフェリーの甲板にいます。

そこから見下ろすと、フェリーを係留するための太いロープが何人かの作業員によって外されるのが見えます。

その後のほうからエンちゃんが走って来ました。

そして、エンちゃんは岸壁のギリギリまで近づいて大きく手を振っています。

わたしが、楽器を吹くために鍛えた肺活量いっぱいに息を吸い込み

「いってきま〜す。」といって大きく手を振ると、岸壁で手を振っていたエンちゃんから

「いってらっしゃ〜い。」とエンちゃん独特の少し高めの声で返ってきました。

すると、いつのまにかフェリーが動き出していて、だんだん手を振っているエンちゃんが遠くなっていきます。

動き出したフェリーは港の中でグルリと向きを変え、いつかエンちゃんのハチロクで来た沖防波堤の横をすり抜けると、急にフェリーが揺れるようになりました。どうやら港の外へ出たようです。

フェリーの一番後ろで右手が痛いのも忘れて手を振っていたわたしは、エンちゃんどころかフェーリーターミナルの建物が小さくなり見えなくなるまで手を振っていました。

肩が痛くなって我に帰ったわたしはそこでやっと手を振るのをやめました。

手を振るのをやめた瞬間、エンちゃんと本当に離れ離れになっちゃった実感が込み上げてきて、わたしの瞳から取り留めもなく涙が湧き出てきます。

しばらく、フェリーターミナルの方の山の稜線がボンヤリしか見えない水平線の彼方を見てたら、だんだんと涙が乾いてきました。

「何にも見えなくなっちゃった。エンちゃん、もう下宿に帰ったかな?」

なんて思っていると、今になって肩の激痛に気づきました。

「イタタ…これじゃ、明日絶対筋肉痛になっちゃう。エンちゃんもそうかな?」

と思って、甲板から客室に入る鉄の扉を開け、両手で自分のホッペを「パチン」と叩いて気合を入れ直してから2等客室にいるお母さんのところに行きました。すると

「アレ、あんたの顔、ひどいことになってるよ。とりあえずこれで拭いて」とハンドタオルを渡されました。

渡されたタオルを右手に持ち、左ポケットにいつもしまっている手鏡で自分の顔を確かめると、なるほどさっき乾いたと思っていたはずの顔が涙でぐちゃぐちゃになっています。

さっき、気持ちを整理し1年後に向かって歩き出した自分に気合を入れたつもりでしたが、その鏡で見たその涙を見ると、こみ上げてくるものがあって

「お母さん、チョットトイレ」と言って駆け込んだトイレの個室で大泣きしちゃいました。

しばらく泣き続けましたが、泣き疲れてひゃっくりがでてきた頃大分落ち着きました。

そして、わたしは心に決めました。

「次にエンちゃんに逢うまで泣かない」って。

「涙はエンちゃんにあった時のための、嬉し涙に取っておこう」って。

そう心に決めて自分に一区切りできたと思ったら、泣き続けたせいもあり大分お腹が減ってきちゃいました。

そして、トイレの個室から出たわたしは、洗面台の鏡で顔を整えるとお母さんのところへ帰えろうとトイレと通路の境にある敷居みたいなところを跨ごうとしました。

すると急に船が揺れて、ドアの角に頭をぶつけてしまいました。その瞬間、目の奥に火花みたいなものが飛びました。

せっかく涙が乾いたのに別の涙が出てきそうです。

それは、フェリーが陸地から大分離れて北海道に向かっている現れでした。船の奥底から聞こえる「ゴーーー」という低いエンジンの音に混じって、揺れるたびどこからか「ギギギギー」という音も聞こえてきます。

この後、お母さんが準備したお昼を食べて、しばらくこれからについて話をしました。

ここは大広間みたいな2等客室で、この日はあまり混んでなくここ一角は貸切みたいになっています。

ここの時初めてお母さんから知らされたのは、

わたしに、この春中学生になる義理の弟ができるということ。

また、苗字が工藤から早坂に変わること。

義理のお父さんになる人は中学校の先生をしていて、亡くなった前の奥さんも先生だったこと。

今、お母さんは妊娠していて、最近安定期に入ったこと。

ということでした。

妊娠という話はうすうす知ってはいましたが、きちんと聞いたのはこれが初めてです。

この時フェリーは進路を変えるためか時々左右に大きく傾きます。そしてしばらくすると大きく上下に揺れます。沖合で波が高くなってきたみたいです。

昼過ぎに出発したこのフェリーは、この後夜の8時過ぎに苫小牧に到着します。そこで新しい義父さんたちと合流して、会食後一泊してから旭川に向かう予定になっていました。

この後時間とともにフェリーの揺れは更にだんだん大きくなってきて、入れなく前に入ろうということでお母さんと入ったお風呂は、浴槽のお湯が右に左に大波となってあふれています。

とても入っていられるものではありませんでしたが、何かのアトラクションみたいで思い出に残る光景でした。

ハダカのお母さんを改めて見ると、服を着ている時には目立たなかった下っ腹がポッコリ膨らんでおり、そこに赤ちゃんが入っていると思うとなんか不思議です。

そのお母さんはわたしと同じで体毛が極端に薄く脇毛もほどんどありません。もちろんアソコもツルツルです。

後で聞いた話によると、お母さん一族は揃って体毛が薄い家系で、お母さんの従兄弟なんかも修学旅行では大変恥ずかしい思いをしたと話していたと言うのも聞いていました。

わたしは逆に、修学旅行のお風呂場で「うらやましい」と友達から言われていました。時代がかわったのでしょうか?

遺伝って怖いです。この先どこまでその遺伝子が引き継がれるかなんてわたしには知る由もありませんが、その時、わたしの遺伝子とエンちゃんの遺伝子が混ざるとどうなるかチョットだけ心配になっちゃいました。

話がズレてしまいましたが、フェリーが苫小牧に到着すると初めてお逢いする義父さんが出迎えてくれました。

その時初めて逢った義理の弟は、義父さんの後ろに隠れてオドオドしています。そして、義父さんに促されるとふてくされるような小さな声で「シンジ」ですと自己紹介しました。

わたしも「今日からお姉ちゃんになるマコトです。よろしくね」と自己紹介すると、シンジはまた義父さんの後ろへ隠れてしまいました。

しかし、お母さんが自己紹介するとなぜか「お母さ〜ん」と言いながらお母さんに抱きつき、さらにベタベタカラダを触りながら猫撫で声で「逢いたかった〜」なんて言っています。

その時、一瞬わたしの方を見たそのシンジ表情がニヤリとしたのをわたしは見逃しませんでした。

「何これ?もうすぐ中学生になるっていうのに。この幼い子供のような振る舞いは。しかも、あの気持ち悪いあの目。」

この時、何か悪い予感というか気味の悪いものを覚えてしまいました。

この後、ホテルで今まで見たこともない豪華な夕食を囲むと、お腹いっぱい食べてそれぞれの部屋で休むことになりました。

わたしは当然お母さんと一緒の部屋かと思っていたところ、お母さんから

「まだ幼いし、小学生だから、シンジちゃんよろしくね。お姉ちゃん。」と、今日初めて逢ったばかりの義弟と同室で過ごすことになってしまいました。

わたしは凄く不安で仕方がありません。

でも、先ほどお母さんと別れる時に見せたお母さんの表情は、母親の顔から、オンナというかメスの顔に変わっていたように感じ、何も言えませんでした。

その後そのシンジとは一緒にテレビを見ていましたが、特に会話をするわけでもなく、どことなく重い雰囲気が流れています。

夜も遅くなり、シンジが「眠い」と言い始めたので、パジャマに着替えさせ、歯磨きを促がすと、ツインのベットの片側に眠るように言いました。

わたしは、なんかモヤモヤした気分をサッパリさせたっくって、シャワーを浴びてから寝ようと、持ってきた体操着入れから替えの下着を取り出すとシャワーを浴びました。

そして、シャワーを浴びてからパンツとブラジャーを身に付けバスタオルを巻いてベットまで戻ると、読書灯だけになっていて薄暗い部屋の中で見た体操着入れの中の物の配置が心なしか変わっているような違和感を感じました。

その時は暗いせいもあり、気のせいと思ったのですが・・・

そのあと、読書灯を消して眠りにつきましたが、夜遅くになにか人の気配で目が覚めました。

すると、ベットサイドの時計のボンヤリとした明かりの中で、シンジがわたしの体操着入れをガサゴソして、さっきまで着けていた下着を入れた白い洗濯ネットを持ってトイレに行くのが分かりました。

わたしは、急に怖くなりそのトイレのドアまで足音を立てないようにして近づき、聞き耳をたてました。すると・・・

「ママ・・・ママ・・・」という小さな声に混じり、ギシギシという音がします。しかも荒い息遣いとともに何かを擦るような音がしています。

ソレがだんだんと早くなっていき、最後に「ウッ」といってそれがとまると、トイレットペーパーが「ガラガラ〜」と引き出される音に変わりました。

わたしは凄く怖くなって、自分のベットに戻ると頭まで毛布にくるまっていましたが、結局朝まで眠ることはできませんでした。

朝、明るく何頃合いを見て、「う〜ん。」と言って背伸びをして、まさに今起きたように装い、隣で寝ているシンジに「おはよう」と声を掛けましたが無反応です。

そして、わたしの体操着入れををの覗くとヤッパリでした。

その時チョット驚いて「えっ」と小さく声を出してしまいましたが、そのときシンジのカラダが少し「ビクッ」となったのをわたしは見逃しません。

わたしは、更に体操着入れの奥底に無造作に入れられている、洗濯ネットのチャックを開けて中を見てみました。

すると、キチンとたたんで入れたはずのパンツとブラジャーがぐちゃぐちゃになって入っています。

しかも、なんか湿っていて、鼻を近づけるとエンちゃんの精子と同じような栗の花の匂いがしています。しかも、コッチの匂いは、私のカラダが受け付けないような生臭く濃い臭いで吐き気がします。

「なんだこれ?」

「何が、どうすればわたしの下着が精子まみれに?」

「なんで・・・?」

と、最初は状況がつかめませんでしたが、冷静になって考えると、それは結局

「わたしの使用済み下着を使ってオナニーしていた」

こと以外考えられません。

もう、わたしは怖くなったというか、気持ち悪くってどうすることもできません。

お母さんに相談しようとしましたが、朝に「おはよう。よく眠れた?」なんて、清々しい顔で部屋を訪れてきた幸せそうな母さんの顔を見たら言い出すこともできなくなってしまいしました。

この後、特にシンジとは話をすることもなく、みんなでホテルのバイキング朝食を済ませて義父さんのランドクルーザーという大きなクルマで旭川を目指しました。

予定では、午後には旭川へ到着するって言われていましたが、道路標識なんてこの先200kmなんて平気で書いてあるし、途中、早期高速道路の整備を望む期成同盟会の看板が何箇所も建っています。

時折運転席から聞こえる「キンコン・キンコン」という100km/hを超えると鳴る警告音を聞きながら、高速道路なんてなくっても・・・と思いましたが、走っても走っても同じ景色ばかりで、改めて北海道って大きいなと感じた瞬間でした。

途中、どこかも分からない街で昼食をとり、途中2〜3回休憩を挟んでやっとこれから住む家まで到着しました。

ずっと座り続けていた後部座席の座り心地があまり良くなく、お尻が痛くってなっちゃって二つに割れそうなくらいでした。しかも、「グオ〜ガラガラ〜」というディーゼルエンジン特有の音が耳から離れません。

初めて入るその建物は、そこは今まで友達の家とかで見てきた間取りとは全く違っています。

大きい空間に大きいロフトがついて、そのロフトの両端に部屋がありました。新築住宅のチラシでよく見かける間取りを表す記号で言えば、「2LDK」というところでしょうか。

しかし、親と子供の部屋が1つづつしかないその家でのわたしのスペースは義弟との共有空間のみになります。

わたしの部屋となるその部屋に入ると、一つしかないドアを境に簡易的に部屋が左右に仕切られていました。

10畳ほどのその部屋は二分割され、それぞれ5畳弱の場所にベットが1つづあり、わたしの部屋は向かって左側となります。

この左側は、天井が低くなっており天窓が付いています。寝ながら星空が覗けるという夢のような部屋なのですが・・・

その部屋は真ん中にちょっとした物を置く棚みたいな家具が背中合わせになって置いてあり、ソレが仕切となっいるだけでした。

しかもその部屋は、一つしかないドアの前が自由に通り抜けできるようになっており、とてもプライバシーなんてものを配慮した作りではありません。

でも、お母さんとお義父さんは、義弟がまだ幼い小学生ということもありそんなに真剣に考えていないようです。

わたしは、凄く不安です。

昨晩あんなことがあってから、義弟がなにか得体の知れないモノにしか見えなくなっちゃっています。

さらに、わたしの衣類などの身の回りの荷物は事前に宅急便で送ってありましたが、どう見ても一度開封した形跡がありました。

特に、衣類の入ったものは一度全部取り出して、入れ直した痕跡があり、自分のカラダが身ぐるみ剥がされたような感覚となっています。

わたしは、一度人の手で何がされたか分からない下着類はカラダに身につけたくなく、そもそもお姉ちゃんのお下がりがほとんどだったため、ちょっとした作戦を立て実行しました。

翌日、お義父さんと新しく通う高校に転入の手続きに行った帰り道、お義父さんに少し甘えたふりをして

「お義父さん。新しい下着を買って欲しいのですが…。ブラなんて最近きつくなっちゃって…。そのほかもお姉ちゃんのお下がりばっかりだったんで、新しいの欲しいの…。」

「自分で買ったことなくって、どんなの買っていいのか自分じゃ分からないから一緒に選んで欲しいの。お母さんに言うと絶対ダメって言われるから…」

と、ワザと下目使いでお願いしました。

実はこれにはもう一つ目的があって、息子が息子なら親は・・・ということで、その親がどのようなものを選ぶのか知る目的もありました。

普通であれば、恥ずかしくって店員に任せたりすると思います。でも、百歩譲って選んでくれたとしても、それがベーシックなものとすればソレはマトモな親と言えますが、そうでなければ・・・

ということで、転校先の制服を受け取るもの兼ねてデパートに来ています。採寸は元住んでいた街にあった同系列のデパートで行なっており、データを送って仕上げてもらっていました。

制服は一般的なブレザータイプで、学校指定のスカートの丈が膝上5cmという微妙な長さです。

全体的に灰色で、スカートはチェック柄です。また、夏服は同じ柄の薄手のスカートに灰色のブラウスの組み合わせです。

受け取った制服は特に手直しもなくそのまま持ち帰れそうですが、下着売り場に到着した途端義父は

「若い娘の下着選ぶなんて久しぶりだな〜」なんて鼻息を荒くしながらつぶやくと、あれこれブラジャーを物色しています。

わたしが一緒にいなかったら通報されそうな、そんな感じです。

わたしが呆れていると、いつのまにか女性店員がそばにいて「サイズお計りしますね」と言われるまま更衣室で採寸されました。

すると、その店員がちょっと悩んでいます。

「どうかしましたか?」と尋ねると

「カップの大きさが、DとEの微妙なところですのでちょっと困っています。」

「でも、成長期ですのでEにしておきましょう」

ということで、結局「E65」というサイズになりました。

すると義父がしつこくサイズを聞いてきたので、最初は「恥ずかしい」とだけ伝え、相手にしませんでしたが、

「サイズ分からないと選べないだろう」などと、あまりにもしつこいので

「Eの65っていうサイズです」と教えると、鼻をヒクヒクさせて

「そうか〜、Eか〜。大きいとは思っていたけど、ヤッパリEカップか〜」なんてつぶやいています。まるで変態です。

しかもその女性店員から、サイズを間違えると胸の形が悪くなると言われた途端。

「今持っているのは全部捨てさせますんで、1週間分買います」なんて言っています。

さらに、その変態義父が選ぶブラジャーは物凄い派手なハーフカップのもので、とても高校生がつけるようなものではありません。

しかも、この店は日本製ブラの最大手ブランドを主に扱うところですが、「このメーカーがこんなの作っていたんだ」と感心するようなものまでありました。

で、結局どうしても買ってあげたいと駄々をこねたレースの半分透けたようなブラ1つだけは義父の好みを呑みましたが、ソレ以外は、わたしの好きなワイヤー入り3/4カップの普通のもの2つと、体育用のスポーツブラ1つだけ買ってもらいました。

しかも、自分で選ぼうと思っていたパンツも頼んでもいないのに選び始める始末です。

それで、結局ブラとお揃えのレースもの1枚とわたしの好きな水色2枚、それとストライプ柄2枚を買ってもらいました。会計の時、結構な値段がしていましたが義父は嬉しそうです。

その時わたしは「この家の父子は揃いも揃って得体の知れない生き物である」とわたしの中にインプットされました。

ソレから数日は何事もなく過ごしていましたが、新学期が始まってから、家に帰るとわたしの部屋が心なしか物色されていることが度々ありました。

しかも、洗濯機に入れたはずの下着がなくなったと思ったら数日後別の洗濯物に混じっていたり、朝起きると身に付けているブラジャーがずり上がっていたりと、おかしなことが起きるようになってきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この頃、3年生になって転校してきたこんなわたしでも暖かく向かい入れてくれた吹奏楽部に感謝しながら、部活の方もスタートしていました。

吹奏楽部は、7月に全国吹奏楽コンクールの支部大会があり、夏休み中の8月に定期演奏会をやって、その活動の殆どが終わって、その後3年生にとっては進学や就職に向けた期間となります。

わたしが転校前に所属していた吹奏楽部は、過去数回全国大会まで出場したことのあるそれなりの大所帯な部活で、秋以降も訪問演奏や秋祭りなどのイベントにも招待されるような部活でした。

しかし、ここの吹奏楽部は人数も総勢20名足らずでどう見ても数が足りません。そこで、わたしは本職であるユーフォニュームのほか、トロンボーンという楽器とチューバというとても大きな金管楽器を掛け持ちすることになりました。

前の学校では野球がそこそこ強く、野球応援ではトロンボーンを吹いていたので問題はなかったのですが、小さなカラダのわたしにとって、そのチューバという楽器は相当手強いものでした。

しかも、合奏をまとめるコンダクターにも抜擢され、毎日充実していましたが、慣れない環境も相まってクタクタでした。

今回、わたしが吹いているユーフォニュームという楽器は、この春学校で購入したヤマハの新品です。新しいので、ピストンのアタリも付いておらず吹きにくいうえ、前の学校で吹いていた3本ピストンのものと違い4本ピストンです。

わたしは手が小さいので、小指で押す4番ピストンがうまく届かず、結局3本ピストンの指使いで楽器を吹いています。

でも、こんな転校生に新しい楽器を預けてくれた低音パートのみんなには、こんな愚痴なんて口が裂けても言えません。

また、知っている人も多いと思いますが吹奏楽部に休日はありません。しかも、今は春休み中に決めてあった課題曲と自由曲のの練習をしています。さらには、3年生の中では定期演奏会の曲選びなどしていてとにかく忙しいです。

でも、嫌いじゃありません。コレ。

こんな忙しい毎日でしたが、気がまぎれるというか余計なことを考える暇もなく毎日過吹奏楽に没頭していました。

そして迎えた7月のコンクールの支部大会では、創部以来はじめての金賞を受賞して盛り上がっています。

「道大会が定期演奏会と被るけどどうする〜」なんて会話が飛び交っていましたが、我が高校は道大会には推薦されず、結局「ダメ金」という結果でした。

でも、ダメ金だろうが金は金です。来年のコンクールは下級生に託して、3年生は残された定期演奏会に向かうだけです。

コンクールの会場を後にする時、下級生から「マコト先輩、来年も指導に来てくれるんですよね」と言われましたが

「もちろんだよ〜」とは答えたものの、すごく心苦しいものがありました。

それは、来年わたしはエンちゃんの元に戻っていて、ここに居ないはずです。こんなに良くしてくれている部活のみんなを裏切るみたいですごく申し訳ない気分でいっぱいでした。

そんな時、心配しているはずのエンちゃんに、わたしの近況を知らせるための手紙を書きました。

それは、あえて部活のことだけを書いたもので、新しい家族の事とかはいっさい書かず、エンちゃんが心配しそうなことには触れないどうでもい近況報告みたいなものでした。

最初は、この気持ち悪い家族のことや自分の身が心配などの相談事も書きましたが、エンちゃんに心配をかけたり、心配になってこっちまで来ちゃったりすると思ったので、そういう文面は全部消しちゃいました。

また、「絶対戻るから待ってて」てなんてことは、エンちゃんを縛るつけるだけなので、これも書きませんでした。

例え、エンちゃんが待ちきれずに別の彼女をつくっちゃたとしても仕方がありません。それは待たせているわたしの責任だからです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして、部活に没頭した高校生活がまもなく夏休みに入ろうかとしたその日のことです。

その日は朝からお母さんの体調が思わしくなく、お母さんはベットから起きてきませんでした。

仕方なくトースターでパンを焼いて朝食をすませ学校に向かいました。昼も購買部で買った食パンを食べ、部活では定期演奏会の舞台構成など話し合ってから家へ帰ると、母さんがパジャマのまま車に乗せられ病院に向かうところでした。

その時母さんは「切迫かもしれないから一応ね。」と言い残し病院へ行きました。

出発間際に「遅くなるかも知れないから、適当に何か食べてね。万が一朝まで戻らなかったら、戸締りだけよろしくね。」と言っていましたが心配です。

もちろん母さんのことももちろん心配ですが、義弟のシンジと二人きりの今晩は自分の身の心配もしなければなりません。

比較的生理の重いわたしは、生理の2〜3日前になるとお腹がモヤモヤして食欲が無くなります。逆に直前になると食欲旺盛になるのですが、今日はそのモヤモヤの日です。

夕食なんて食べたくないところでしたが、シンジためにスパゲティーを作ったので、仕方なくわたしも付き合い夕食を済ませました。

そして、お風呂から上がって自分の部屋の勉強机で定期演奏会で演奏する曲の譜面を見ながら、楽器を吹くイメトレをしていました。

すると、その時珍しくシンジが「コレ」と言ってコップにカルピスを持ってきました。

風呂上がりでちょうど喉が渇いていたわたしは「ありがと」と言って、何の疑問も持たずそのカルピスを一気に飲み干しました。

それからどれくらい時間が経ったか分かりませんが、急に物凄い眠気に襲われて、このままだと机で寝てしまうと思い、やっとの事でベットまでたどり着くとそのまま寝ていました。

しばらくすると、わたしの夢にエンちゃんが出てきました。

そのエンちゃんは、バンザイの格好で寝ているわたしの着ているTシャツの裾から手を入れて、ブラジャーの上から胸を揉んでいます。

「エンちゃん。そんなことしなくたって・・・服脱ぐまで我慢できないの?」

と思った時、寝ているわたしのTシャツをすそからめくって、頭までずり上げました。

その次に、ズボンとパンツを一緒に脱がそうとしています。

この時わたしは、脱がされる時お尻を浮かして脱ぎやすいようにすると、スルリと下半身がハダカになります。

わたしのカラダにはブラジャーだけが残っています。

するとエンちゃんは、わたしの背中に手を回してブラジャーを外そうとしますが全く外れません。

すると、それを諦め今度はそのブラジャーを上にずらして胸を揉みだし、乳首をチューチュー吸っています。

生理前でオッパイが張っているのでもうちょっと優しくして欲しいところです。でもなんか、乳首が固くなっちゃいました。

チョットくすぐったいです。

すると、今度は指でアソコを触ろうとしています。でも、いつものエンちゃんとはなんか違うような感じです。

わたしは触りやすいように脚を広げました。すると、今度は指を入れてきました。まだあんまり濡れていないのに。

しかも、なんか触り方がガサツでチョット痛いです。

そして、今度は脚をさらに広げるとカラダをそこに割り込ませてきました。

いつものエンちゃんならこの後ユックリ舐めてくれるのに…。

すると、わたしのアソコに何か硬いものを擦り付て、それが終わるとその先端を入れようとしています。

でも、ソレは場所が違うというか的外れの上の方を突いているような感じです。

しかも、入れようを力を入れるとつるりと滑って中々入れることができなくって、なんか焦っているような感じです。

「もうちょっと下だよエンちゃん、今日は調子が悪いね」なんて夢の中で問いかけると、足を持ち上げられた瞬間その硬い先端がわたしの中にグリグリと入ってきました。

「イタタタ。エンちゃん。チョット痛いよ。」なんて夢の中でエンちゃんに伝えますが、ソレは止まりません。

そして、わたしのカラダに抱きつきながらハーハー言って腰を打ち付けてきます。

濡れていなかった私のソレから痛みが伝わってきます。

夢の中で「痛いよエンちゃん。チョット待って。」と問いかけますがそれは止まりません。

腰が打ち付けられるたびわたしの胸が揺れるのが分かります。

しかも、その抱かれているはずのエンちゃんの匂いは、あの大好きなエンちゃんのものではありません。

そしてその動きがだんだん早くなってきて、腰を叩きつけるようなパンパンパンパンという音が聞こえてきて、

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(2020年05月28日)

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