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【評価が高め】徒然なる昭和~薄幸少女幸子の記憶~

投稿:2020-02-26 18:44:35

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丞太郎◆EzkGJXc

私が子供の頃は、地方でもまだ路面電車が走っているところが多かったのを思い出します。

今、子供の頃の故郷の風景を思い出すと、チンチーンと鐘を鳴らして走る路面電車と行き交う車が目に浮かびます。

故郷の駅にはまだ新幹線など走ってなくて、非電化区間を走ってきた蒸気機関車の吐く煙に囲まれて、電化された本線を走ってきた特急電車が隣合わせに停車していました。

テレヴィもまだ白黒で、放送はVHFだけでした。

私が中学、高校くらいになると、蒸気機関車は淘汰され、非電化区間はディーゼルに置き換えられて、テレヴィもカラー化されました。

高校に入ってすぐ、私は祖父に連れられて旧花街に出かけました。

当時そこは料亭街になっていて、表通りから入り組んだ路地を通って裏口から入りました。

祖父は女将に目くばせすると、私を女将に預けて出て行ってしまいました。

女将に連れられて建物の奥へ入ると、階段を上がって二階の窓のない部屋へ案内され、中に入ると部屋は四畳半で、三畳だけ畳が敷かれ、後の1畳半は床の間で箪笥が二竿置かれていました。

そこには、年の頃なら20代半ばのお姉さんが浴衣姿で待っていました。

「童を頂戴しますね。坊ちゃん。」

ズボンとパンツを下げられて、陰茎を弄ばれました。

ゆっくりと裸になったお姉さんの股ぐらを舐めるよう促され、初めてクンニリングスという行為を経験しました。

神秘的な女性器を目の当たりにして、私の陰茎は爆発しそうでした。

「これ、スキン。こうしないと、赤ちゃんができると困るでしょ?」

スキンを装着した私は、お姉さんの膣にゆっくりと陰茎を差し込みました。

不思議なもので、教えられなくても自然に腰が動きました。

乳房を揺らして悶えるお姉さんがエロ本の100倍エロくて、挿入から3分と過ぎないうちに、スキンの中にドロドロと射精してしまいました。

「坊ちゃんはまだ若いわ。もう一回出来るでしょ?」

外したスキンを処理しながら、ヌルヌルの亀頭を弄られて再び勃起させられました。

新しいスキンが被せられ、二回戦はそれでも5分程度で漏れてしまいました。

そのお姉さんに毎週土曜の午後に手ほどきを受けていた私は、高校1年の夏休みに衝撃的な場面を見てしまいました。

その日は、いつもの窓のない部屋ではない部屋に連れていかれました。

その部屋は直径二尺程度の丸い曇りガラスの窓がある六畳部屋で、四畳半が畳敷き、残り1畳半が床の間で箪笥が一竿と机が置かれていました。

丸い窓は北向きで、電車の窓のように上にスライドして開けることができて、夏の暑い室内を少しでも涼しくすることができました。

いつものようにクンニリングスの訓練のあと、スキンを着けて腰の使い方の訓練をして、女体の扱い方を教わっていました。

お姉さんの個人授業を終えて帰るとき、つい、窓のない部屋につながる廊下のドアを開けてその部屋の前を通ってしまいました。

すると、窓のない部屋は暑さをしのぐために入り口が明け放たれていて、中から女の艶めかしい声が聞こえました。

そっと通り過ぎようとしたら、開け放った入り口に紺色のスカートが見え、更に白い線のある紺色の袖口に白い袖、明らかに夏のセーラー服を着た女の子の腕が見えました。

生つばを飲み込み、そっと覗くと、そこには中年の男に組み伏せられた上半身白いセーラー服を着た少女が、下半身裸で中年男の陰茎を出し入れされて喘いでいたではないですか!

自分と同じ年代の少女が、幼い顔を歪ませて快感に喘ぐ姿はショックでしたが、その少女の顔がこちらを向いて、顔がはっきり見えたときはもっとショックでした。

その子は、中学の同級生だった幸子という女の子でした。

幸子は影の薄い女の子でしたが、どこか可憐な可愛さがあり、恋焦がれていたわけではありませんが、気になる存在でした。

私は、後ずさりしながら廊下に戻ったところをお姉さんに見つかり、

「廊下の仕切り扉を開けちゃダメ。いいこと、閂になっている扉は、勝手に触れてはダメよ。」

と叱られてしまいました。

後に知ったのですが、この料亭は、他の客と顔を会わせること無く出入りが可能なように、随所に仕切り扉があったのです。

高校1年が終わった春休み、私は、駅前の路面電車乗り場で幸子と顔を合わせました。

「丞太郎君・・・私をあんな処で見たなんて・・・」

「ああ、言わないよ。幸ちゃんも俺があそこにいたことは、内緒にしてくれよ。」

「うん・・・私、家が貧乏だから・・・ああするしかなくて・・・でもこんなこと学校に知れたら・・・」

「皆まで言わんでいいよ・・・」

私は、健気に生きている幸子の姿を見て、幸子という名が皮肉に思えてなりませんでした。

私が通っていた高校は、地元では最も進学校の私立高校でしたが、幸子が通っていたのは県立の商業高校でした。

高校2年になって初めて料亭を訪れると、部屋に入るなりお姉さんが、

「いらっしゃい・・・」

と誰かを呼ぶと、紺色の冬のセーラー服を着た幸子が入ってきました。

「今日は、この幸ちゃんがお相手よ。坊ちゃんと同い年よ。ちゃんと避妊するのよ・・・」

私が戸惑っていると、

「無理やりじゃないのよ、丞太郎君。幸ちゃんが望んだこと・・・本当は、お客を選んじゃダメなんだけどね・・・」

そう言い残してお姉さんは出ていきました。

幸子は恥ずかしそうに私の前に座ると、

「今、お風呂に入ってきたばかりだから、アソコも清潔よ・・・」

と言いながらパンツを脱ぐと、後ろに手を着いた状態で体育座りのように畳に腰を下ろし、股を拡げてスカートを肌蹴ました。

陰毛の下に幸子の16歳の陰裂が見え、

「どうぞ・・・」

と言いながら指をV字にして陰唇をパックリと広げました。

「処女を喪失してまだ1年なの・・・綺麗なうちに丞太郎君抱かれたかった・・・」

幸子のスカートを脱がせて、上半身だけセーラー服を残して布団に横たえ、中学時代の同級生の膣穴を舐めました。

「ああっ・・・」

中学時代に机を並べた大人しく可憐な女の子の女性器は、お姉さんのそれのように変色もなく桃色でしたが、お姉さんと同じような淫らな愛液が溢れていて、幸子の中学時代のイメージが崩れていきました。

十分濡れてきたので、お姉さんに教わったようにその愛液を陰核にまぶして、舌先で転がしてやりました。

「んああああ・・・お、お豆ちゃんはダメ・・・あああーーーっ・・・」

セーラー服を着た高校2年になったばかりの少女が、身体を震わせて感じていました。

幸子は、私の陰茎を優しく撫でると、

「硬い・・・私を買うおじさんたちと違ってすごく硬いね・・・」

そう言いながらスキンを被せました。

私は素っ裸になり、

「幸ちゃんも脱げよ・・・裸で抱き合おうよ・・・」

と言いました。

中学の同級生が16歳同士で素っ裸で抱き合い、スキン越しとは言え性器を交える異常さに、とてつもない興奮を覚えました。

目立たなくて大人しかった中学時代の幸子が、私の陰茎を膣に出し入れされてその快感に喘いでいる様子を不思議な気持ちで見ていました。

「あっ、ああっ、丞太郎君・・・ああん・・・」

「幸ちゃん・・・ううっ!」

ドッピュピュピュピュピュ~~~スキンの中に大量の精液が吐き出されました。

私と幸子は抱き合ったまま、唇を重ね、自然と舌を絡めていました。

高校2年、私は料亭でお姉さんではでなく、30代や40代、時には50代のおばさんの相手もするようになった代わりに、幸子を月に1回抱くようになりました。

後に知ったところによると、これはこの地方のお坊ちゃんが皆経験する事で、1年間お姉さんに性の手ほどきを受けた代償として、10代の少年の性を求める中年女性の相手をする恩返しなんだそうで、母親より年上の50代のおばさんの相手は、幸子を抱く交換条件だったのです。

私は、中年女性とのセックスで高校生とは思えぬ舌使いと腰使いを習得しました。

もちろんそれは、月に1回に抱く幸子とのセックスにも反映され、学ランとセーラー服の少年少女のセックスとは思えぬ淫らさだったと思います。

昭和40年代、結婚前の男女がセックスするなどと言うことは憚られる時代、ましてや高校生がセックスするなど怪しからんにも程がありました。

でも、中学の同級生の男女が性を交えれば、身体だけでなく心も通じ合ってくるものです。

高校3年、東京の大学へ進学を決め、幸子との最後のセックス、

「丞太郎君・・・あのね、私そろそろ生理が来るの・・・だから・・・今日はスキン無しで、セックスしたい。最後に、丞太郎君と本当のセックスがしたい・・・思い出、欲しい・・・」

私は、心惹かれていた幸子との生の交わりに心躍りました。

高校3年生の2月末、スキンを着けずに陰茎と膣を密着させた私と幸子は、心からお互いを思い、別れを惜しんで交わっていました。

そこには、間違いなく愛がありました。

「あっ・・・ああっ・・・丞太郎君・・・」

「幸ちゃん・・・ヤバイ、出そうだよ・・・」

「そのまま中に・・・大丈夫だから、中に出して・・・ああっ!」

「幸ちゃん!ううっ!」

ドックン!ドックンドクドク~~~

「あああああ~~~丞太郎君・・・」

生まれて初めての中出しでした。

高校3年生の女の子の膣口から、中学の同級生だった女の子の膣口から、自分が吐き出した精液が流れ出ている光景は、不思議でもあり感激でもありました。

「丞太郎君・・・私、今日のこと一生忘れないね・・・丞太郎君、大学、頑張ってね。」

「幸ちゃん・・・俺、幸ちゃんのこと・・・」

「言わないでっ!・・・それ、聞いたら私・・・諦められなくなるから・・・このまま、お別れしましょう・・・」

これが幸子との最後でした。

幸子への思いを抱いたまま東京へ出た私は、大学入学直後に私と同じような地方から出てきた女子大生と恋仲になり、初めて処女喪失を経験して、幸子のことなどすっかり忘却の彼方でした。

初めて見た地下鉄、新幹線、立体交差した高速道路、恋仲になった女子大生と青春を謳歌していました。

もちろん、彼女一人で満足できるはずもなく、色んな女とハメを外していました。

東京では、休日になると隣接した県からたくさんの女子中高生が原宿にやってきて、中にはガールハントに簡単に引っかかって身体を許す少女がたくさんいました。

特に夏休みや春休みは入れ食い状態で、彼女も帰省してしまうから、連日日替わりで少女を喰いまくっていました。

大学時代、そのような少女を50人くらいはいただいたと思います。

今でも覚えていますが、連れ込んだ少女の中には5人の処女がいまして、その5人は全員夏休みにひっかけた少女でした。

中には小学生じゃないのか?と思われるほど幼い少女もいましたが、そういう少女でもすでに性体験は豊富だったりして、

「セックスさせたげるから、一晩泊めてよ。」

と宿泊代のように身体を差し出す女の子もいました。

たまに女の子2人組を泊めたときなどは、二人並べて交互に挿入して味比べをしたり、ウブな後輩を呼び出して初体験をさせてやったりしました。

彼女達は様々なコスチュームで街を彷徨い、後に竹の子族というムーブメントを引き起こしました。

大学3年の時、兄貴が県会議員の次女と結婚して家を継いだので、父に、

「お前は自由に生きて構わないぞ。」

と、まるで地元には帰ってくるなとでも言いたげだったので、そのまま東京へ就職しました。

大学を卒業する時、4年間付き合ってきた彼女が田舎へ帰る前、最後のセックスの後、

「大学の思い出って、東京の大都会と、あなたとのセックスだったな。田舎に帰ったら社会人、お淑やかで真面目な大人の女にならなきゃね。」

と言ったのを聞いて、ふと自分を見つめなおし、いつまでも女の子のケツを追い回してはいられないと思いました。

東京に就職した私は、真剣に女という生き物と接するようになり、暫くは女っ気なしでいましたが、就職2年目の夏にアルバイトに来ていた伊藤蘭さんに似た短大生があまりにも可愛くて、アルバイトの最終日に我慢の限界がきて口説いてしまいました。

まだ昭和の時代、彼女から、短大を卒業して社会人になってからじゃないと付き合えないと言われ、私は翌年3月まで待ったのです。

それまで何人もの女性と関係した私でしたが、彼女は交際に応じてもなかなか身体を許してはくれませんでした。

それが、その当時の真っ当な女性の当り前の姿だったのでしょうが、私はかなりの禁欲に耐えた覚えがあります。

26歳でプロポーズ、結納を済ませてやっと彼女と枕を交わしたのであります。

出会ってから2年、ずっと夢に見た可愛い彼女の陰裂を開いたとき、その純情なたたずまいに感動したものです。

破瓜の痛みに硬直した彼女、回数を重ねるごとに覚えていく快感を耐え忍び、婚約者に淫らな姿を見せられない健気な乙女心がたまりませんでした。

私27歳、妻23歳で結婚、開通したばかりの東北新幹線で新婚旅行に向かいました。

当時は大宮までリレー号という電車で連絡されていました。

新婚初夜、快感の壷を抉られながら耐える新妻に、

「もう夫婦なんだから、気持ち良かったら素直に喘ぎなさい。」

というと、堰を切ったように激しく喘ぎだし、全身を震わせて気を遣ったのです。

子供を二人儲け、バブルを経験し、その後は平凡な幸せの中で浮気することもなく、可愛い妻一筋で過ごしてきました。

私は、ワールドカップ日韓大会の最中、父危篤の一報を受け帰郷、父と二人になった今際の際に、

「お前・・・幸子を覚えているか・・・」

と言われました。

幸子・・・少女娼婦として私と心通わせた幸ちゃん・・・

「お前、幸子に種をつけただろう・・・バカ者が・・・幸子は、お前が大学1年の冬に女の子を出産したわい。お前の子だろう・・・3年前にその子が結婚して、今年子供を産んどる。お前、孫がいるんだぞ・・・」

父はそう言い残してこの世を去りました。

墓場まで持って行ってほしかった話でした。

今年、幸子が産んだ私の娘は43歳です。

色々手を尽くして探しましたが、幸子と娘夫婦と孫は、埼玉県に住んでいることがわかり、先日、訪ねてみました。

名乗ることはせず、遠くから幸子一家を見ていました。

私と同じ62歳の幸子より、高校1年生の孫娘に幸子の面影を見て心が震えました。

あんなあどけない女の子が、昭和のあの頃、男に手籠めにされ、思いを寄せた中学の同級生の男の子に抱かれ、最後、一か八かの膣内射精で好きな男の子を宿した・・・私は、幸子が歩んできた人生を思うと、涙が溢れて止まりませんでした。

そして、幸せそうに庭で戯れる幸子一家を見て、ここに私がいてはいけない、二度と来てはいけないと感じながら、立ち去ったのです。

そして私は、幸子一家の幸せを祈ったのです。

-終わり-
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