体験談(約 44 分で読了)
【殿堂入り】震災の後、家に帰れない秘書のお姉さんがうちにお泊りして(1/6ページ目)
投稿:2016-07-02 13:33:34
更新:2016-08-14 21:40:25
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本文(1/6ページ目)
震災の後、ボクたちは自分たちの家を目指し、ひたすら歩いていた。
交通は麻痺し、通信手段も遮断されていて、できることと言えば自分の足で歩くことぐらいだった。
そのとき、ボクは会社に入って二年目で、専門が化学系だったことからラボに配属されていた。
ガタガタとテーブルの上のフラスコやビーカーが揺れ始め、次の瞬間には大きな揺れが襲ってきた。
同期の佐倉がテーブルの下に潜り込み、声も出せずにいた。
目が合うと彼女は手招きをして、ボクにも下に潜り込むようメガネの奥の少し怯えた目が告げていた。
何かが床に落ちて、ガラスの割れる音がしたかと思うと、どこかで女性社員の悲鳴のような声が聞こえた。
ボクも慌ててテーブルの下に潜り込んだ。
防災訓練は受けていたのに、結局それ以外のことは何もできなかった。
ヘルメットがどこかにあるはずなのに、どこにあるのかわからなかった。
揺れが漸く収まって、テーブルの下から這い出ると、研究室の中は荒れていた。
本棚からは、資料や本が床に落ちて散らばっていた。
塗料と混ぜて使う薬物の入ったビンだけは、扉のついたガラスケースに収められてのがせめてもの幸いだった。
「凄かったね」
佐倉がテーブルの下から這い出て来ながら言った。
ボクは、それに頷くことしかできなかった。
「おい、外へ出るぞ」
所長の誘導の下、ボクたちは階段を使って地上階に降り立つと、ラボのビルを出て駐車場へと集合した。
「怪我人はいないか?」
先輩たちが点呼を取り始め、ボクと佐倉は顔を見合わせるしかなかった。
幸いにも、怪我をした人はいなくって、ボクたちはホッと胸を撫で下ろした。
携帯を取り出して、情報を集めようとしたけれど、回線が混雑しているのか、ネットには繋がらなかった。
「森本くん、ネット繋がった?」
佐倉の問いに、ボクは力なく首を横に振った。
顔を上げるとラボのお偉いさんたちが集まって、何かを話し合っている。
情報もないままに、時間だけが過ぎていく。
やがて、お偉いさんたちの中の一人が、駐車場に集まった社員に向かってこう告げた。
「本日は、これで業務終了とします」
別の人が続けて言った。
「うちに帰りたい人は、上司に断ってから会社を出るようにしてください」
陽が落ちるまでには、まだ時間があった。
研究所に留まるか、うちに帰るか、ボクは迷っていた。
明るいうちには無理だとしても、歩いてでも今日中には家にたどり着けるかもしれない。
「佐倉さんはどうする?」
聞いてみると、佐倉はきっぱりとボクにこう言った。
「私、本社に行ってみる」
「えっ?電車が動いているかどうかもわからないのに?」
おそらく街は混乱していて、タクシーもきっと拾えないだろう。
それでも佐倉は言った。
「うん、行くだけ、行ってみる」
佐倉には、本社に好きな人がいると、誰かから聞いたことがあった。
こんなとき、自分には心配する相手がいないのは、何だか寂しい気がした。
佐倉がちょっと羨ましかった。
「森本くんは、どうするの?」
どうしようか迷ったが、ボクは漸く決断し、それを告げた。
「ボクは、うちに帰るよ」
「そう。それじゃぁ、お互い、気をつけてね」
「うん、それじゃ」
門を出ると、佐倉は本社へと続く大通りに向かって小走りで駆け出して行った。
白衣姿の佐倉は、裾が棚引いていて、何だか映画のワンシーンのようだった。
余震が続いていて、研究所のビルには戻らないように言われている。
だから、ボクたちは白衣姿のまま、それぞれの目的地へと向かうことになった。
ボクは、佐倉と反対の方角へと歩き出したが、駅へ向かう途中で、定期入れを持っていないことに気がついた。
財布もカバンの中に入れたままだった。
取りに戻ろうかとも考えたが直ぐに諦めた。
戻ってもどうせビルには入れない。
家の鍵と小銭入れだけはズボンのポケットに入っていたので、そのまま駅へと向かうことにした。
果たして、駅は人ごみでごった返していた。
電車の運行は全て止まっていて、駅員さんから状況を聞きだそうとたくさんの人が詰め掛けていた。
そのときボクは、人ごみの中に、どこかで見かけたことのある後姿を見かけた。
「田之倉さん?」
ボクの声に振り向いた女性は、紛れもなく、秘書の田之倉涼子さんだった。
「社長になると、あんな綺麗な人が秘書についてくれるんだなぁ」
入社式の後で、同期の連中とそんな会話を交わしたのを思い出した。
二十代後半だと噂で聞いたことがあったが、ボクと同じか、精々ひとつかふたつ違いにしか見えない綺麗な人だった。
「森本くん・・・」
田之倉さんが大きな目を見開いて驚いた表情をして見せて言った。
けれどもその大きな瞳は、直ぐにいつもの優しい目に戻っていた。
そんなことよりも、田之倉さんが、ボクなんかの名前を覚えていてくれたことがちょっと驚きだった。
けれども、そのような話をしている状況ではなかった。
「田之倉さんが、どうしてこんなところに?」
尋ねると、田之倉さんは事情を説明してくれた。
「社長のお使いで、ラボの所長のところに来ていたの」
ボクはそれに頷いた。
「ラボを出たところで、地震に遭ってしまって・・・」
事情は分かったが、だからといって何かをしてあげられるわけでもなかった。
顔を見合わせていても電車が動き出すわけでもなく、ボクたちは途方にくれた。
暫く様子を伺っていたけれど、電車が動き出す気配は一向になくて、ボクは決断のときを迫られた。
「ボクは、歩いて帰ろうと思いますけど、田之倉さんはどうされます?」
「私のうちは、歩いて帰れる距離ではないの。このまま待ってみるわ」
普段なら、田之倉さんと一緒にいたいと思うところだろうが、そんな余裕はなかった。
「そうですか。では、お気をつけて」
「森本くんも気をつけてね」
胸の前で小さく手を振る田之倉さんに見送られて、ボクはその場を後にした。
けれども、五分ほど歩いたところで、ボクの足は田之倉さんのもとへと引き返していた。
「田之倉さん!」
ボクが戻ってきたのを見て、田之倉さんは少し驚いていた。
でもすぐに、懐かしい人にでも再会したような優しい表情をしてくれた。
「どれだけ時間がかかるか分かりませんけど、よかったら一緒に来ませんか」
憧れの先輩と、こんなところで巡り合ったのも何かの縁だと思って、ボクは思い切ってそう言ってみた。
田之倉さんは、少し考えていたみたいだった。
けれども、すぐに頷くとこう言った。
「そうね。このまま待っていても仕方がないわね」
ボクは田之倉さんの決断を促すように頷いた。
「方角も一緒だから、ご一緒させてもらっていいかしら」
その返事を聞いて、ボクは心の中で自分の勇気を称えた。
ボクの白衣姿に対して、田之倉さんは上下とも黒のスーツ姿だった。
少し高めの黒いヒールを履いていたので、歩きにくそうだった。
けれども、靴を売っているお店など見当たらず、気遣ってあげる余裕もなくて、そのまま歩き出した。
あったとしても、買うお金は持っていなかったのだけれど。
歩きながら、ボクと田之倉さん少しずつ話をし始めた。
最初は地震の話だったけれど、線路沿いに何時間も歩いているうちに、田之倉さんは自分のことも話してくれるようになった。
「私には、妹がいるの」
当然ながら、初めて聞いた話だった。
「森本くんは?」
「ボクは一人っ子です」
「そう。彼女は?連絡がつかなくて心配じゃない?」
「そんな人いませんよ」
そう言うと、田之倉さんは、笑みが零れるのを堪えるように前歯で下唇を噛むような表情をして見せた。
そんな気がした。
けれども、ボクの思い過ごしかもしれない。
何といっても、普通の状況ではないのだから。
「田之倉さんは?」
聞き返してみると、田之倉さんの返事も同じだった。
「私、モテないから」
「そんなこと、ないでしょう?」
そう言うと田之倉さんは少し自嘲気味にこう言った。
「こういうお仕事をしているとね、誰も寄り付かないの」
「そうなんですか?」
「ヘタなことをして、社長に睨まれたら終わりだし・・・」
確かにそうだと思った。
「社長秘書なんて、肩書だけで虫よけスプレーを持って歩いているようなもんなんだから」
それを聞いたボクは、思わず笑ってしまった。
すると、田之倉さんもつられるようにして笑った。
「・・・それに、朝早くて夜も遅いから、出会いなんかなくて・・・」
スレンダーな体型がモデルみたいで、肌が白く、アーモンドアイの美人だから、彼氏がいて当然だと思っていたのに、意外だった。
田之倉さんの歩くペースに合わせながら、ボクは自分の歩調を合わせて歩き続けた。
話をしているうちに少しだけ心の余裕も出てきた。
けれども道のりは遠く、陽が落ちても半分くらいのところにまでしか来ていなかった。
その上に、腹が減ってきた。
「何か食べましょうか」
通りがかったコンビニに入ってみたものの、食料は何も残っていなかった。
品物を補給する物流も止まってしまっているのだろう。
売り物のないコンビニを見るのは初めてだった。
「何もありませんね」
顔を見合わせて空しく笑うしかなかった。
お店の人に文句を言うわけにもいかず、ボクたちは力なく店を出ると再び歩き始めた。
そんな時に開いている食べ物屋さんは、一軒もなかった。
途中、売り切れランプが並んでいる中で、あまりおいしくなさそうなジュースのランプがひとつだけ「販売中」になっている自販機を見つけた。
ボクは小銭入れから百円玉と十円玉を取り出して、投入口に滑り込ませた。
ボタンを押すと、ゴトンと音がしてペットボトルのジュースが出てきた。
同時に、唯一残っていた「販売中」のランプが「売り切れ」に切り変わった。
田之倉さんは足が痛そうだったので、ボクたちは公園のベンチに座って少し休憩をとることにした。
「何も無いよりましですよね」
そう言って田之倉さんにペットボトルを差し出した。
「私は後でいいから、森本くん、先に飲んで」
お互いに譲り合っていたのだけれど、ボクが折れて先に飲ませてもらった。
飲み口に唇が当たらないように気をつけた。
最後に残っていた一本なだけあって、そのジュースは不味かったが、喉の渇きを癒すことはできた。
三分の一ほどを飲んだところで、田之倉さんに差し出すと、田之倉さんは白い喉を見せてゴクゴクとジュースを飲んだ。
田之倉さんの唇が飲み口に当たっているのをボクは横目で見ていた。
「ありがとう。生き返ったわね」
ペットボトルをボクに返しながら言う田之倉さんは、少し元気を取り戻したようだった。
「もういいんですか?」
頷く田之倉さんを見て、ボクはペットボトルに口をつけると残りのジュースを飲み干した。
「間接キスだ・・・」
我ながら、子供じみた発想だと思ったが、それがその時の正直な気持ちだった。
悲惨な状況の中、一服の清涼剤とは、将にそういうことを言うのだろう。
お蔭で気力が少し回復し、ボクたちはベンチから腰を上げた。
しかし、ふと気がつくと、田之倉さんの表情は再び曇っていた。
「足が痛いんですか?」
尋ねると、田之倉さんは辛い表情を誤魔化すように首を横に振ると、無理に笑って見せた。
「靴を脱いでみてもらえますか」
再び田之倉さんをベンチに座らせると、田之倉さんは素直にヒールから足を抜いて見せた。
辺りが暗くなっていたのと黒いストッキングで判り難かったが、田之倉さんの足は、爪先にも踵のところにも血が滲んでいるようだった。
「これじゃ、痛いですよね」
「ううん、大丈夫」
無理に笑って見せる田之倉さんが不憫だった。
直感的に、その足で歩き続けるのは無理だとも思った。
けれどもこのままでは、公園で野宿になってしまう。
田之倉さんを誘った以上、ボクは何とかしなければと焦っていた。
田之倉さんをベンチに残して、ボクは公園を出た。
通りかかった車を止めて、ボクのうちの近くまで乗せてもらえないかと、頼みこんだ。
普段のボクなら、そんなころはできなかっただろう。
それくらいボクは切羽詰まっていて、必死だった。
「うちの近くまで乗せて言ってくれるそうです」
ベンチに座ったままの田之倉さんのところに戻ってそう言うと、田之倉さんは驚いていた。
「森本くん、勇気あるのね」
「ハハハ、何も考えて無かったです」
田之倉さんに褒められて、ボクはちょっとだけテンションが上がった。
通りかかったのは、その辺りに住んでいるというおばちゃんで、普段なら見知らぬ人を乗せてはくれないだろう。
ラッキー以外の何ものでもなかった。
それに、おばちゃんは自分たちに身に降りかかっている惨事を誰かと話したかったのかもしれない。
おばちゃんは饒舌で、ボクたちが車に乗り込むと、目的地に到着するまで、地震の時の模様を一人でしゃべっていた。
車を降りる際に、田之倉さんは千円札を何枚か取り出したティッシュペーパーに包むと、固辞するおばちゃんに渡し、連絡先を聞いていた。
秘書らしい気配りに感心している間に、気がつくと車はボクたちを置いて走り去っていた。
田之倉さんは、最初、自分のうちに帰ると言っていた。
「ここまで、ありがとう」
「田之倉さん、その足では無理ですよ」
「でも・・・」
「それに、こんな街中で遭難でもしたら、洒落にならないですよ」
「遭難って・・・」
ボクの言葉に笑ってみせると、田之倉さんは少し考えた末、うちに来るといってくれた。
「人畜無害ですから」
そう言って、ボクは田之倉さんに背を向けるとしゃがみ込んだ。
「田之倉さん、もう少しですけど、乗ってください」
「大丈夫よ」
田之倉さんは、そうは言ったものの、歩き始めるとやはり痛かったらしく、結局ボクにおんぶされることに同意した。
田之倉さんの身体はとても軽かった。
お尻や太ももにできるだけ手が触れないように、腰の後ろで手を組むようにして、ボクのアパートまで田之倉さんをおぶって歩いた。
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(2020年05月28日)
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