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投稿:2017-08-18(金)19:14

妻のおかげで維持できた結婚生活

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本文(累計閲覧数:6,898回)
正樹さんからの投稿

推薦で大学合格を決めた高3の12月、本家の伯父貴に連れられて行った茶屋で、置屋の姐さんと初体験した。

何度か目の茶屋で、

「いいか正樹、大学に行くまで女の扱いを覚えておくんだぞ。」

と言っていた伯父貴は、酒を注ぎに来た四十前後の姐さんの和服の裾をめくり上げ、オマンコにコップを突っ込んで遊んでいた。

姉さんのオマンコがブワッと広がって、懐中電灯で照らされた中身が見えていやらしかった。

「なんじゃ、濡れとるじゃないの。簡単に入りよったな・・・」

「ちょっと・・・さっきお客さんが弄りなさったからじゃないの・・・」

「本物が欲しいか?」

「甥っ子さんが見てるわよ・・・」

「構わん構わん・・・」

伯父貴はパンツをズリ下げると、生のまま肉棒を入れた。

着衣のまま、下だけ露わにした母親と大して年齢が変わらない姐さんと伯父貴のセックスを目の前で見て、俺はうろたえた。

伯父貴は5分ほどで抜いて、

「正樹、ゴム嵌めて入れてみろ。」

俺はコンドームをして四十女の肉穴に入れて腰を振った。

「まだ早い、ゆっくり動かすんじゃ・・・前後だけじゃなく、左右、上下、いろいろ女によって感じる場所が違うんだぞ、正樹、それを探してそこを撫でてやるのが男の使命じゃぞ。」

まだ昭和と呼ばれた時代、俺はそうやって女を覚えて大学へ旅立った。

大学では手当たり次第に女を口説き、振られたら次、断られてもめげずに、生理的に無理でなければどんな女でも抱いた。

セックスすると、スケベそうな女はよりスケベに、お澄ましした女でもかなり淫らになることを知った。

大学を出る頃にバブルに突入した。

引く手あまたの求人で、企業が人材欲しさに接待していた。

俺は、故郷でなり手が無くて困って頼み込まれた伯父貴に呼び戻され、故郷に戻って半官半民の某団体職員になった。

バブルだったが半官半民の団体職員の給料は安かったが、羽振りの良かった伯父貴に連れられて、女遊びには不自由しなかった。

短大生や女子大生のアルバイト娘を呼んできて、小遣いを渡して破廉恥な遊びに興じていた。

若い娘が大股開いて、自分の父親より年上の伯父貴に肉穴折檻されて潮を噴いていた。

親御さんが見たら卒倒しそうな事をして、全身に精液を浴びていた。

そんな女たちを見ていたら、恐ろしくて結婚なんかできないと思っていた頃、伯父貴が、

「お前も間もなく26歳になる。そろそろ女遊びはやめて身を固めろ。」

と、自分を棚に上げて見合いを勧めてきた。

のらりくらりとはぐらかしていたが、どうやら俺を名指しでの見合いを本家の伯父貴が打診されたらしく、

「とにかくいい娘さんだから、会ってみてくれ。」

と言われて、渋々見合いしたのが昭和も終わりの頃だった。

俺26歳、見合い相手は地元のお嬢様短大を出て腰掛就職1年目の21歳で、現在は合併して同じ市になっているが当時は隣の町の町議の孫だった。

町議と本家の叔父貴が昵懇で、東京の大学での甥っ子がいると聞いた町議が孫娘とくっつけようとしたのだ。

あおの孫娘は大人しそうで、ちょっと田舎くさいところが可愛げな、見た目は佐野量子に似た女の子だった。

可愛いし若いから、連れて歩いても見栄えがするから付き合ってみた。

ちょっとポワンとした娘で、スローなテンポにたまにイラついたが、ちょっとした下ネタにも真っ赤になるから、かなりウブなんだろうと思った。

3か月ほど付き合って、素直で育ちも良くていい娘だと分かり、ちょっかい出そうと口説き始めたが、

「あの・・・祖父から、結婚が決まるまでは素肌を晒すなと・・・」

これを聞いて俺はこの娘を嫁に欲しいと思った。

間違いなくこの娘は処女を守っていると確信した。

頑なに処女を守ってきたからには、短大時代もきっと夜遊びなどできなかっただろうし、遊びの範囲も狭まるだけで不毛な努力にも思えたが、処女を頂いて夫となれるチャンスには大きな魅力があった。

俺は、結婚を決意したと伯父貴に伝え、昭和64年3月に祝言を上げる段取りになった。

そして、年末に結納を済ませ、婚約者になったのだからと口説いて、処女を戴いた。

色んな女とハメてきた俺にとって、何人目の女かわからなかったが、ただ一つ、処女を抱いたのは生まれて初めてだった。

今でも忘れえぬ感動だった。

恥ずかしそうに広げた足の間には、薄らと茂みが揺らぎ、その下には肉の裂け目が見えた。

広げると、全く手付かずのビラ肉とはこんなのも美しいのかと驚いたピンクの肉ヒダ、そして肉穴の向こうに見えるシャンプーハットのような膜。

皮に隠れてほとんど見えない肉芯、それを舐めれば快感が脳天を貫くが、必死で我慢するいじらしい生娘。

はしたない開脚で肉穴をなめられる羞恥と、肉芯を弾かれて感じる痺れるような快感に、動揺を隠せない様子が可愛すぎた。

どのようにして得た知識か知らないが、肉棒を傷つけないように歯を唇で隠すようにしながらフェラ、覚悟を決めて肉穴で肉棒を迎える少し怯えた表情・・・たまらなかった。

破瓜に歪む顔、しかし、愛する男を肉穴で射精に導けなくては妻の資格なしと耐え抜き、乳房からへそのあたりまで浴びた精液を不思議そうに眺め、指に取って匂いを嗅ぐところが股可愛かった。

週末は俺に抱かれるようになり、年が明けて昭和64年を迎えたが、昭和天皇が崩御したことにより披露宴は自粛して式だけ挙げた。

新妻はやっと性の快楽を覚えたばかりの純情妻、肉棒の出し入れよりもクンニの方が気持ち良すぎて、喘ぐ淫らな姿を夫に晒すのが切ないらしく、早目の挿入を望んだ。

肉穴で肉棒を受け入れる行為は、夫婦の愛の確認であり、神聖な行為だが、クンニは夫に股間を晒して足を拡げて肉裂を舐められる変態的で一方的な快感に喘がされる羞恥の行為と新妻は考えていたようだった。

しかし、俺に肉穴内部の反応を探られ、敏感なゾーンを肉棒で擦り上げられて快感に仰け反るようになっていった。

「ああん、あああん、いや、恥ずかしい、恥ずかしいから早く射精してください、ああ、あん、ああん・・・」

股を拡げてガンガン突かれて、快感に身を捩りながら乳房を揺さぶる姿を愛する夫に見られることに羞恥が極り、

「可愛いよ・・・可愛くて大人しい純情なお前がチンポ快楽で喘ぎ乱れる姿は最高だよ・・・」

と囁けば、あまりの羞恥快楽についに絶頂に達した。

同時に新妻の肉穴に精液をタップリと注ぎ込んだ。

結婚して半年のことだった。

結婚して28年が過ぎた今、子供たちも独立して再び夫婦二人になった。

俺は生娘を確保し性欲処理の穴を欲しいままにする権利を得て、妻は出産後専業主婦として俺に経済的に依存しきる権利を得た。

長い結婚生活、実は浮気だけでなく、家庭を捨てようかと思うほどの不倫もしてきたが、可愛い妻の処女を俺がもらい、はっじらう行為を散々仕掛けて性を開発し、立派なベテラン性欲処理妻になったことで、それは離婚を思いとどまるものとして俺に働き続けた。

男は、きっと妻に飽きるときが来れば浮気もしたくなると思う。

慣れ親しんだ肉穴に飽きて、ヤル気が無くなることもあるだろう。

それでも、処女をもらった妻だったからこそ、俺以外の男にヤラれるのは嫌だった。

自分は浮気や不倫をしながらも、妻を寝取られることに対する強烈な拒否感は、妻が処女をくれたという特別感から発生していた。

オスの本能としては、一夫一婦制は意に反した制度であるが、それでも一夫一婦制を維持するには、せめて妻が処女なければ無理だと思う。

今、還暦も遠くない年齢になっても妻を抱けるのは、俺だけが使った肉穴だったということに他ならない気がする。

- 終わり -

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メント

1:名無しさん #iEKCOYA :2017-08-19 06:27:21

ウチの妻も処女だったので、その気持ち分かります。自分しか知らない妻は、四十過ぎても最高に愛おしいです。

2:名無しさん #ZgA3Ew :2017-08-20 12:30:10

昭和64年3月って存在しないよ?
64年になって1週間で平成になってるから

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